フランスにいたよ(10)ナントの続き

ナントは、これまでもフランスで最も緑の多い都市に選ばれたり、最も暮らしやすい都市に選ばれたりしています。確かに、何となく好感の持てる町です。このナントに生まれた有名人に、ジュール・ヴェルヌがいます。今日はまず、ここに行くことにします。ホテルのフロントでいろいろな情報を仕入れ、地図をもらって出発です。ナント駅の前にトラム(路面電車)の停留所があります。一時はすたれたトラムでしたが、1985年に復活、これはフランスでの復活第1号だそうです。

路線は3系統あり、そのうちのフランソワ・ミッテラン行きのトラムに乗り、Gare Maritimeという停留所で降りて、あとはロワーヌ川沿いに歩きます。川向こうのナント島に大きな黄色く塗られた起重機が見えます。あれが絵文字の「T」ですね。歩くのに一生懸命で写真を取らなかった!残念。

どんどん歩いてゆくけどそれらしい建物なし。地図ではこのあたりのはずだけど。で、道行く人に聞いてみると、通り過ぎてしまった階段を上った丘の上にあるとのこと。右側にある階段に気が付きませんでした。階段の上には白い彫像があります。本当はもっとずっと手前にある、右へ逸れて上る坂道を行くと建物の前に出たのですが、見逃したようです。
この階段の上の右側の建物が、博物館でした。傾斜地に立っているので、一階から下に降りていくような展示になっています。建物の全景写真を博物館のページ(上記リンク)からお借りして載せておきます。
© Patrick Garçon – Nantes Métropole

この建物は彼の生家そのものではないのですが(生家はもっと市の中心に近いイル・フェドー島、中洲だったのが現在は埋め立てられて陸続きになっています)、ロワール川を見下ろす丘の上にあるので、少年時代を過ごしてその冒険心と想像力の源泉となった当時のナントの雰囲気を伝えてくれているように感じます。実は先ほど見逃した坂道の途中、ロワール川を見下ろすことができる展望台のようなところに、ヴェルヌ少年と六分儀を持ったネモ船長の銅像があったのですが、階段を使ったので見逃してしまいました。

建物の入り口と横にあるテラスへ続く扉の写真、それと入り口から入った受付の後ろにかかっていた、Verneの肖像写真です。
展示室には彼のイマジネーションの源泉となった雑多なものや、彼の想像力が生み出した潜水艦や飛行艇などの模型が飾られていました。もちろん書架には、豪華装丁の初版本が並んでいました。

窓からはロワール川と中洲のナント島の西の端が見えます。ここにも黄色くないけれど起重機が据えられていますね。一番下の階には、ゲーム板が真ん中にドーンと据えられていて、プレイルームのようになっています。そのほかに映像を見せる部屋がいくつかありました。壁にあったシルエットに惹かれました(改変しています)。上段左が六分儀を覗いているネモ船長ですね。
残念なことに説明文は全部フランス語なので、内容の詳細はわかりませんでした。後で上記のWebPageを知るのですが、これには英語版があり、これを事前に読んでおけば、いろいろと情報が得られ、また違った感想になったのに、と悔やまれます。

それでも1時間45分ほど居て、外に出ました。建物の前の並木道の向こうに教会が見えるのでそちらの方に歩き出しました。教会は聖アンナ教会(Eglise Sainte-Anne)でした。先ほど階段の上にあった白い彫像は、この聖アンナだったのです。聖アンナはマリア(聖母)のお母さんです。でも教会は締まっていました。
教会の前を右折して、街の中心に戻ることに。川沿いの道に戻り、30分ほどぶらぶら歩いてロワイヤル広場(Place Royale)に着きました。ほぼ中央に銅像を伴った噴水があるのですが、その手前に人工の白い砂浜とヤシの木が立っていました。ヤシの木には白いヒト(もちろん人形)が登っています。一時的なものなのでしょう、ちょっとした遊び心のようです。砂浜に置かれたデッキチェアーでくつろいでいる人がいました。

広場の向こうに見える尖塔は、Basilique Saint-Nicholasのものです。Basiqueは聖堂と訳すようで、この教会は聖ニコラス聖堂となります。ここで混乱、BsilliqueとEgliseとどう違うの?

調べてみると、Egliseはいわゆるミサなどが行われ人々が集まる教会のこと、Basiliqueは上に書いたように聖堂、これはローマ法王の特別な指定を受けた教会のことだそうです。さらにCathedralは大聖堂と訳し、いくつかの教区を集めた大教区の中心となる教会で、教皇座があるものを呼びます。

Chapelleにはいろいろあってややこしいのですが、聖堂内の翼廊などにある副次的な礼拝空間を呼ぶことが多いようです。ただし、ブルターニュでは独立した建物をChapelleと呼んでいたと思うのですが、これは教会の所有ではない、例えば村のような共同体が建てたものを呼ぶようです。したがって、学校やホテルにある礼拝のための空間もChapelleと呼ばれるのです。うーん、ややこしい。

元に戻って、聖ニコラス聖堂はネオゴシックの建物で、19世紀の中ごろに建てられました。
教会とみれば中に入ります。正面に祭壇、振り返ればパイプオルガンです。

朝からここまで、歩いて喉が渇き、お腹が空いたので、食事するところを探すことに。店頭のメニュー見ていたら、うまく年長のボーイさんに席に導かれてしまいました。赤い傘の下なので、すべてが赤く見えます。店の名前はCafe du Commerseでコメルス広場(Place de Commerce)にあります。
まずはビールを注文してのどを潤しました。おいしい!

食事は小生はビーフ、連れ合いはマトンを注文、美味しく頂きました。

喉の渇きがなくなり、お腹も満ちたので、再び戦闘開始。ここからすぐ先にあるパッサージュ・ポムレ( Passage Pommeraye)を訪ねます。ここは1843年にできたアーケードで、ガラス屋根で覆われ、さらに装飾がとても凝っています。ロワイヤル広場から伸びるフォス通りとサンテュイユ通りの高低差を利用した三層構造で、およそ100mほどの長さでしょうか、フォス通り側の入り口はこんな感じです。人が住んでいるので夜中は柵の門が締まります。
中に入るとこんな感じです。
両側の回廊に並ぶ明かりの下に並ぶ少年たちはみな、異なるポーズをしています。中にはこんな剽軽なものも、、。
壁面の明かりのアームには凝った装飾が、、。

階段の手すりの飾りです。

この胸像は設計者のポムレさん?両側のお店はいろいろありましたが、ウィンドウショッピングのみで、サンテュイユ通り側で外に出ました。再びロワイヤル広場を通って聖ニコラス聖堂を横目で見て、古い建物の横を通って行くと、時計台がある聖クロア教会(Eglise Sainte-Croix)にたどり着きました。

途中にあった古い建物は15世紀のものでMaison des Apothicaires(あるいはPlace du ChangeにあるのでMaison du Change)という歴史的建造物(1922)で、訳すと「薬剤師の家」なので、昔の薬屋さんだったのだろうと思います聖(現在はレストラン)。二階の柱の上部にある人物の彫刻がとてもユニークです。

聖クロア教会の遠景はこんな感じ。
入り口に近づくと、横の壁にはMerciと書いてあるから多分寄進の銘板でしょう、多数打ち付けてありました。
1669年に建設が始まり、完成したのは1860年とありました。ちなみにジュール・ヴェルヌはこの教会で洗礼を受けたそうです。

教会の横の庭にはカワセミの大きな絵が飾られていました。そのまま庭を進むと建物がありPassageになっていて、アートイベントが開かれていました。
アートイベントをちょっと見学して、いよいよナント大聖堂へ向かいます。正式名称はCathedrale Saint-Pierre-est-Saint-Paul de Nantesです。長いので以後、ナント大聖堂と略記します。

現在のナント大聖堂は、ブルターニュ大公城のすぐ北側にすでにあったロマネスク様式のCathedraleが手狭になったので、1434年からゴシック様式の建築物として建て変えられ始め、457年かかって、1891年に完成を見ました。聖クロア教会よりも早く建て始めたけれど完成は30年ほど後なので、結構長い間、並行して建設されていたんですね。正面のfacadeは立派ですね。

中に入るとゴシック特有の高い天井と、白い柱が身廊(nave、椅子が並んでいるところ)の両側に整然と並んでいるのに圧倒されます。

身廊の両側には側廊(aisle)があって、側廊の壁側の柱の間の区画はChapelleとなっています。どれにも名前があって、絵や祭壇や彫像などがあります。身廊の奥には一段高くなった聖歌隊席(choir)があり、さらにその奥に祭壇が置かれた内陣(chancel)があります。次の写真は身廊の前の方から聖歌隊席と内陣を撮ったもので、一番奥に見える黒っぽいのが祭壇です。
聖歌隊席と内陣の周囲には周歩廊があり、ここにもChapelleがあり、絵などの飾りつけがありました。その中でちょっと気になった絵、”naive-primitive” paintingのAlain Thomasというナント生まれの画家の2004年の作品でした。キリスト生誕の絵ですね。

身廊と聖歌隊席の間の通路は左右に張り出して、南北の翼廊(transept)となっています。南の翼廊には見事な大理石の彫像で飾られた墓碑が置かれています。上面に横たわる男女は、ブルターニュ公フランソワ二世とその妻のマルグリット・ド・フォアで、四隅には四つの枢要徳(cardinal virtues)である知恵(思慮)、勇気、節制、正義を表す寓意像が置かれています。
墓碑の四面には、使徒と修道士の彫刻が施されています。この作品は、フランソワ二世とマルグリットの娘であるアンヌ・ド・ブルターニュによって1502-1507年につくられたもので、ルネッサンス期の彫刻の最高傑作と言われています。アンヌ・ド・ブルターニュはブルターニュ地方とフランスを結びつける重要な役割を果たすのですが、詳しいことは省略します。

一つ余計なことを。4つの寓意像はそれぞれ象徴的なものを手に持っています。北西隅の知恵の像は、左手に持った鏡を見つめ、右手にはすべてを測るコンパスを持ち、足元に蛇がとぐろを巻いているのですが、この女性の頭の後ろのフードの中には老人の顔が隠れています。何を意味するんでしょうねー。

聖歌隊席の南側の横に下へ降りる階段があり、人が登ってくるのが見えました。階段を囲う柵に掲示があり「Acces aux cryptes」とあります。地下聖堂への入り口はあちらと書いてあります。今日は土曜日(日曜日も)なので、地下聖堂に入れるのです。南翼廊の戸口からいったん外に出て、ぐるっと庭を横切って回ると入口がありました。内陣の下にかなり大きな地下空間があるのです。

この大聖堂の歴史が書かれたパネルがあり、ロマネスク建築物の名残らしい円柱もありました。
内陣の下あたりは、収蔵品を納めた展示室のようになっていて、いろいろなものが展示されていました。写真は法衣(帽子)や錫と17世紀作の聖母子像です。

一方通行なので、さっきの見た階段を昇って再び大聖堂の中に戻ります。もう一度、側廊をざっと見ました。ナント大聖堂は1944ねに空襲、さらに1972年に火災が起こり、大きなダメージを受けました。下の写真はチャペルの一つにかけられていた1972年の火災の絵です。
火災後、文化省と歴史建造物決定機関は修復を決め、1985年に完成します。今見ている内部はそのため、新しくて白いのですね。

大聖堂を後にして、大聖堂の敷地に沿ってぐるっと回り、サン・ピエール広場に出ます。広場といってもかなり長い長方形で、両側に木が植えられていて、幅広の街路のような感じです。広場の先にマレシャル・フォス広場があり、ここにルイ16世の彫像の載った高いポールが立っていて、さらにその向こう側は同じような長方形のサンタンドレ広場になっています。

マレシャル・フォス広場を左に曲がると、ナント大聖堂のすぐ裏にあたる場所に、サン・ピエール門と呼ばれるくぐり道のある建物があります。この建物の路面に近い大きな石の部分が3世紀の遺構で、その上の小さな石を積んだ部分が15世紀の遺構だそうです。旧市街は壁で囲われていて、ここが何か所かあった門の一つだということです。
 

その手前に下の写真のような地下道がありました。これはさっき潜った大聖堂の地下聖堂につながっているような感じです。いずれにしても、この地点はナントという街にとって重要な要所だったのでしょう。再びサンピエール広場に戻り、まっすぐ続く広場を通り、広場を出るときにアンヌ・ド・ブルターニュの彫像と、若い兵士の群像の脇を通り、正面にLUの塔を見ながら、ホテルに戻りました。。

翌日はボルドーへ移動する日なのですが、出発する時刻は午後4時25分なので、それまでゆったりと時間があり、まだナント探検ができそうです。ホテルの屋上のテラスで、近くのパン屋さんで買ってきたパンを食べ、トラムに乗って昨日降りた停留所の一つ前(Chantiers Navals)で降りて、橋を渡ってナント島に向かいました。そう、見落としていた大きな象を見るために。

そこはLes Machines de l’Ile、島の機械たちと訳すのでしょうか、機械仕掛けの象で有名な遊園地です。橋を渡って右の方を見るとメリーゴーラウンドが見えるので、右に折れて歩いてゆくとその先のさらに大きな三階建てのメリーゴーラウンドが見え、その前に象が止まっていました。ここが乗り場になっているのです。メリーゴーラウンドは海の世界を題材にした乗り物満載のものらしいのですが、見上げるだけで入りませんでした。

やがて象は乗客を乗せて動き出しました。途中で鼻から水を吹き出します。大人も子供も大喜びで、周りを駆け巡ったりしてついて行きます。その雄姿をご覧ください。
まつ毛も動くんです、もちろん耳も。歩いているように足が動きますが、もちろん動力は別にあります。動いているところはインスタグラムで公開しています(#動くゾウ)。

象はお客を乗せて構内をぐるっと回って、二つの建物の手前で乗客を交代します。次の半周は、建物の間にあるガラス天井のアーケードの下を通り、Ateliers et chantiers de Nantesの建物の前を通って元の乗降場にたどり着きます。

この建物がファクトリーとギャラリーで、右側の建物ではいろいろな動物が制作されていて、テラスからその工程を見学でき、左側の建物内にはクモだとか芋虫のマシンがあって、乗ることができます。右側の建物から伸びた木のようなものは、製作中のArbre de heronsで、将来は機械のサギが営巣する木になるのです。この建物に入るのは有料ですが、とても混んでいて列ができているので、入場はあきらめました。

この島はもともと造船場のドックがあったところで、その容れ物に、ジュール・ヴェルヌのイメージによる生き物を、レオナルド・ダ・ビンチの機械の世界で実現して詰め込んだ世界になっているのです。下の写真はパンフレットの表紙です。

再びトラムに乗って駅まで戻り、植物園を訪ねることにしました。駅のすぐ前なので、東京でいえば新宿御苑といった感じでしょうか。なんとなく雰囲気も似ています。芝生の広場があり、池があり、温室があり、、。道の途中にあるのは、大きなベンチです。ちょっとした遊び心でしょうか。他にも、、
そうそうジューヌ・ヴェルヌの胸像とその下で彼の本を読む少年少女の像がありました。
名残惜しいけれど、ナントともお別れです。もういちどホテル近くの街をぶらつき、ホテルで荷物を引き取って列車に乗り込みました。列車は夜9時すぎにボルドーに着きました。ホテルは駅の目の前でした。


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