フランスにいたよ(9)ナントへ

娘夫婦とその子供たちは、ラクトディ―にずっといて、8月10日にカンペールを出発して、パリ郊外のシャルルドゴール空港近くのホテルに泊まって翌日午前の飛行機でアメリカに帰国するという計画でした。我々もそれに合わせて同じ11日の午前の便で日本に帰国するので、10日に合流して同じホテルに泊まることにしていました。

ただ、我々は最後の何日かを使って、少し旅行をしようと決めていました。最初は東のストラスブルグの方へ行こうかと言っていたのですが、日程がきつそうなので、南へ下がってナントとボルドーを訪ねてからパリの戻ることにしました。だってナントといえば「ナントの勅令」です。世界史でナントの勅令とアンリ・カトル(アンリ4世)の名前をやみくもに覚えた記憶があるでしょう? それにナントってなんとなく気になる名前の町ですものね。

でもって8月5日にカンペールからナントへ出る列車の予約をしました。SNCFのスマホアプリを使えば、今やEチケットを簡単に購入することができます。面白いことに同じ目的地に行くのでも、列車の出発時間帯によって料金が異なるのです。日本とだいぶ違いますね。なるべき安い便を選んで予約しました。

8月4日の夕食がラクトディ―での最後の夕食です。お決まりのシャンパンで乾杯。アペタイザーはサラミとイチジクをクリームチーズで包んだ団子。午後9時半でこの明るさです。
メインはテナガエビが山盛りです。あっという間に殻の山になりました。
お決まりのチーズにデザート。
こうしてラクトディ―最後の夜は過ぎていきました。

翌日の8月5日、朝早く起きて朝食後、9時にラクトディ―の家を出発、車でカンペールの駅まで送ってもらって、本当にさようなら。時刻表の電光掲示板を確認してホームへ。今度は日本で会おうと言って車中の人となりました。

乗ること2時間半、途中で娘が作ってくれたサンドイッチを食べているうちにナントに着きました。ナントに着いてから乗っていた列車を撮影しました。キャリーバッグを持っている男性は車掌さんです。カンペールからVannesを通ってRedonまでは高速で、そこらSavenayまでは普通の列車並み、そこからNantesまでは再び高速で走行したようです。

スーツケースを持っての移動なので、なるべく駅のすぐそばにホテルを探して予約をしました。この予約にはBookingComがたいそう役に立ちました。ナントでのホテルはHotel Astoria、ヨーロッパのどこかで泊まった記憶があるので選びました。ナント駅を降りて路面電車に沿って西へ歩いてすぐのところです。
後で気が付くのですが、両側もホテルで、この通りには駅に近いためでしょう、ホテルが建ち並んでいました。写真の通り、ホテルの間口はたいへん狭く、京の町家と同じくウナギの寝床です。ドアを入った狭い廊下の脇にフロントがあります。

まだチェックインできないので、ともかく荷物を預けて町の地図をもらい、いくつかの情報をもらい、歩いてすぐのお城に向かうことにしました。

お城というのはブルターニュ大公城です。ナントは昔はブルターニュ地方に含まれていたのが、込み入った歴史を経て現在は、ブルターニュとは別のロワール・アトランティック県に属しています。それはともかくナントもまた、ロワール川の川筋に発達した町で、ナントまで大型の船が入ってくることができます。小さいですが砲台を備えた軍艦が停泊していました。
路面電車に沿って歩いてゆくと、右側にお濠が見えてきます。位置関係を示すためにGoogleEarthで1200m上空から俯瞰した景色を載せておきます。

お濠に沿ってぐるりと回ると、白い瀟洒なお城が見え、さらに進むと入口(城門)があり、城内へ入るだけなら無料です。多くの人がお堀端の芝生で日向ぼっこをしていました。
門を入る前に、道の向かいにあったツーリストインフォメーションに立ち寄ってみました。壁に貼ってあった、ナントの絵文字に惹かれました。後でわかるのですが、それぞれの文字がナントの名所になっているんですね。

門を入ると広場になっていて、今くぐってきたのがメインの建物のようで、白亜のお城という感じです。現在はここは歴史博物館になっています。歴史博物館に入ることにしました。博物館は有料です。建物のすぐ前にしゃれた飾りの覆いのある井戸がありました。
博物館の中に、ナントの旧市街、中世の街並みの模型がありました。右下がお城で、街は城壁で囲まれています。GoogleEarthの航空写真と比べてみると、今でも旧市街の区画がはっきりとわかります。
博物館の展示はよくできていて、ナントがどのように発展してきたか展示されています。ナントの勅令が発布された部屋もありました。しかしアンリ・カトルの生涯もユグノー戦争の帰趨も複雑で、簡単には書けませんねー。ともかくカトリックとプロテスタントの宗教戦争を終わらせ、フランスの繁栄の礎を築いたことで、アンリ・カトルは高く評価されているようです。でも暗殺されちゃうんですね。その子のルイ13世が子供だけど跡を継ぎ、三銃士の世界になるんです。

展示の中で特に目を引かれたのは、ナントがアフリカから西インド諸島あるいはアメリカ南部への奴隷貿易の中心地だったということです。西インド諸島では砂糖、アメリカ南部では綿花のプランテーションのために労働力が必要で、ナントを出た船はアフリカ西海岸へ赴き、ラム酒や武器と物々交換した奴隷を積んで上記の地域へ行き、帰りは砂糖や綿を積んで戻るという、大西洋三角貿易の出発頂点だったわけです。西インド諸島でのプランテーション農場の様子や、奴隷に対する虐待などの生々しい展示がありました。負の歴史も目を背けない、という感じがしました。

城内を展示室にしているので、上がり降りが激しく体力を消耗。ところどころには昔の城の装飾?というものが飾られていました。

向かいの別館では、金に関する展示がありました。覗きましたが、詳しいことはパスします。本館の博物館入り口に横にある階段を上ると、城壁の上をぐるりとめぐることができます。

途中で駅の方見ると目につく塔が見えます。これ、NANTESの絵文字のAですね。歴史博物館の展示にもありましたが、ナントはフランスのビスケットの発祥の地で、ルフェーブル・ユーティル(LU)とビスキュイテリー・ナンテーズ(BN)が19世紀の半ばと後半にナントに工場を建てて生産を始めたそうです。1909年にLUの工場の一角に塔が作られ、工場の移転した後も、この塔はナントのシンボルとして市民に愛されているそうです。

ぐるりと一周して最初の入り口のところに戻ってきました。入り口両側の塔にはめ込まれた紋章が目を引きます。

もう7時です。さすがにお腹がすきました。適当なレストランはと探して、今日はフランスから離れてイタリアに浮気、ということでオーガニックなピザ屋さんに入り、サラダとピザを食べました。もちろん半分ずつ分け合って。 食事の後はホテルに戻ってチェックイン、ロッカールームに預けた荷物を受け取って部屋に入り、シャワーを浴びて寝ました。長い一日でした。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です