青雲の記7 アメリカポスドク時代

博士課程最終年の時に、二つの選択肢が生まれ悩みました。一つは都内の某大学への就職のための選考が進んでいて、面接を受けたりしてほぼ決まっていたように思います。もう一つは、三崎大学院・ポスドク時代にすでに書いたように、アメリカへポスドクとして留学する話です。けっきょく、某大学へは断りを入れ、学振のポスドクを11月に辞退して、アメリカへ行く選択をしました。こうして1975年11月18日に、アメリカのシアトルに家族ともども3人で移動しました。最初は同じ研究室に早くから来ていた早稲田大学の並木秀雄さんの家に泊めてもらいました。最終的に、ボスであるGorbman教授の奥さんであるGenevieveの持ち家である一戸建ての住宅の一階を借りることになりました。二階には別の夫婦が住んでいました。住所は次の通りです。5119 27th NE, Seattle 98105 USA。下の写真の中央上端、墓地とある場所の左側にある小さな→がその家です。2022年現在のGoogle Mapから切り出して名前を入れていますが、この辺りは当時とあまり変わっていないようです。すぐ南側にユニバーシティー・ビレッジというショッピングセンターがあり、ここのQFCというスーパーマーケットには食料品や日常用品を買いにしょっちゅう行きました。下の写真のビレッジの右下にある白い四角い建物です。

家のあたりを拡大した写真も載せておきます。これもGoogle Mapをそのまま拡大して切り出したものです。5119という文字が読み取れます。

ウズラからカエルへ
プライベートライフは後で書く事にして、まずは仕事の話から。Audrey Gorbman教授の研究室は、Kincaid Hallの3階にありました。教授室に行くと部屋の手前にある控室のようなところにドサッと別刷りの山がありました。10㎝以上はあったと思います。教授室と隣り合ってつながっている左手の大きな研究室は、建物の北西を向いていて、当時はPhysics/Astronomy Auditoriumの建物はなかったので、窓から見るとすぐ近くにインターステート5号線の高い陸橋、Ship Canal Bridgeが見えました。あてがわれた部屋は教授室のすぐ隣で、そこへ別刷りの束をもって落ち着きました。当時オーブリーはCentral Nervous Functionという大きな研究補助金を持っていて、筆者にはカエルを使ってホルモンと行動の関係を解析するような研究をしてほしかったのです。ウズラから一転、両生類のカエル、nothern leopard frog(Rana pipienns)を使うことになりました。

Wikimediaより

ウズラとは違ってカエルはなかなか飼うのが難しい動物でした。注文をすると箱に入って動物商から送られてきます。教授室の右隣にある部屋にある恒温装置というかドラフトのようなところに、プラスチックのケースにひたひたになるぐらいの水を入れて飼育します。温度が高いとすぐに死んでしまうのです。餌は生きたコオロギで、これも送ってもらっていました。カエルは下手をすると腹側が赤くなってすぐに死んでしまって、手足を伸ばしてわずかに入れた水の中でぐったりしてしまうのです。しょっちゅう見回って餌のコオロギを入れて様子を見る、というところから始まりました。(未完)


科学と生物学について考える一生物学者のあれこれ