今度は奈良だ(3)

「今度は奈良だ」の3回目です。まだ2日目の午後、やっと飛鳥に着いて、駅前で自転車を借りるところまで前回、お話ししました。

3年ほど前にも飛鳥へ来ているので、その時、行っていないところというので地図を片手に出発。毅聖(孫、高校2年)が先導で、どこをどう走ったのか思い出せないのですが、細い道を急な坂を上ぼり、途中高速道路の下をくぐり、途中から自転車を押して、坂の途中の空き地に自転車を止めて、最後は徒歩で岡寺を目指しました。坂の途中から三重塔が見え、やがて山門が見えてやっと到着。暑いー!

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仁王門から入ってまだまだ続く階段を上り、三重塔を右手に見ながら左に折れて本堂へ。

本堂に安置されている本尊は如意輪観音。日本最大の塑像の仏像だとか。えー、粘土の像しかも高さが4.85m、うーん、塑像の実習をやらせてもらっている小生としては信じられないほどの大きさと古さ。奈良時代の作というと1000年以上前。途中、補修をしているというが、乾いて崩れないのかしら。という心配をよそに、目を細めてこちらを凝視していらっしゃいます。

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龍蓋池の脇を通ってさらに奥に。かなり奥まったところに奥の院。石窟です。暗い中へ入ると、石の仏様が安置されています。

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三枚続きの一番下の写真は、フラッシュを炊きました。まぶしくしてごめん。奥の院から左手へ丘の中腹の道を通って進むと、境内が見下ろせます。手前には鐘楼が見えます。途中には新しい墓所もありました。

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鐘楼は、誰でも鐘をついていいというので、ゴーン。とても良い響きです。

岡寺を後に、坂を下って石舞台に。前回もきたけれど、やっぱり飛鳥といえば石舞台でしょう。4時半を過ぎてもう遅くなってきたけれど、駐車場わきの駐輪場に自転車を止めて入口へ急ぐと、受付は閉じる寸前。間に合いました。

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その後、伝飛鳥板葺宮跡へ行き、急いで飛鳥駅前に。自転車を返却して、電車に乗って近鉄奈良駅に戻りました。この日の夕飯は、ホテル近くのインド料理屋さんでカレーとナン。おっとその前にGolden Eagleというビールを一本。

まだまだ続くけれど、今日はこの辺で。また来週、じゃなかった、またあとで。


ちょっと気分転換に

ちょっと気分転換するために、うんと昔のスケッチを持ちだしてきて、スキャンしてみました。

これは学部3年生に夏の動物分類の臨海実習でスケッチしたものです。薄い鉛筆を使っているのでコントラストが小さく、少し強調してスキャンしています(本物はもっと淡い感じです)。

懐かしいですね。今からウン十年前のものですから。

スカシカシパン

名前を入れたのに、投稿ページに挿入するときに消えてしまっている。和名はスカシカシパン、学名はAstriclypeus manniです。


今度は奈良だ(2)

続きです。近鉄大阪線で2つ戻って長谷寺駅へ(いやー、今朝は近鉄奈良駅から来たのだけれど、近鉄の路線も複雑ですねー)。駅は小高いところにあり、坂を下って大和川(初瀬川)を渡り、右に折れて初瀬街道をてくてくと。暑い日でかなり消耗。途中表参道を通るルートよりも手前で左折してしまい、不安に思いながら坂を上がり、さらに左折してようやっと仁王門へ続く参道の下に到着しました。

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仁王門を通って、有名な登廊へ。これも長い階段だー。

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両側にはボタンが植わっているが、どれもこの暑さで葉っぱが茶色に変色。季節になったら咲くのかしらと心配になるほど。夏の長谷寺はあまり魅力的ではない感じ、サクラとボタンの春がきっといいのだろう。ところでこの長谷寺、創建は奈良時代、8世紀の前半とか。古いお寺さんなのです。

繋屋を右に曲がって短い中登楼を通り、さらに左へ曲がって上登楼を本堂へ。登りきった本堂横に設置してある扇風機で風を受け、しばし涼んだ。暑かったー。

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本堂の相の間(正堂と礼堂の間)を通って、正堂に安置された本尊十一面観音を礼拝。この日は法要が営まれていた。静かに遠くから観音を眺める。撮影禁止だけど遠くからなので許して。

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そういえば、鎌倉にも長谷寺があり、あそこの本尊も十一面観音だった。知らべてみると、ここの観音像と同じ楠で作られ、一体をここ奈良の長谷寺へ、もう一体を祈祷の上、海に流したところ三浦半島に流れ着き、それを鎌倉に安置して鎌倉長谷寺としてと寺伝にあるという(Wikipediaによる)。うーん、結構、壮大な宗教上の作り話だ。

でも確かに、紀伊半島と三浦半島、房総半島は海流の関係で深く結びついている。地名にしても、南紀白浜と安房白浜、南紀勝浦と安房勝浦など同じものが多い。三浦半島の名前の由来となった三浦氏は平氏の子孫だとか。そういえば筆者が大学院博士課程の時は、東大の油壷臨海実験所で研究を行っていたのだが、そこは三浦道寸が北条早雲と戦って討ち死にした新井城の跡地にあり、空堀の跡などがあったことを思い出す。あり得ない話ではないのかも、、。

脱線したので軌道修正。本堂の回りをうろうろしていたら、一段の若いお坊さんが本堂前を通り抜けて登楼を下って行った。修行中なのかしら。

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お決まりのコースをたどって五重塔のわきを通り、六角堂の横を抜けて最初の参道へ。

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途中右へそれて本坊の方へ。皇族の方のお手植えの松がたくさんある。本坊の前から見上げると、初瀬山の中腹に抱きかかえられるように建てられて本堂の様子がよくわかる。懸け造り部分(清水の舞台のような)は工事中では入れなかった(写真では工事用フェンスでおおわれている)。

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帰りは表参道をちゃんと通り、途中でおひるごはん。息を吹き返して、元の初瀬街道を近鉄長谷寺駅へ。大阪線で大和八木駅まで戻って、今度は橿原線で飛鳥駅へ。駅前で自転車を借りて、今度は明日香を巡ろうというのです。まだまだ続くけど、今日はここまで(どこかで聞いたセリフだけど)。


今度は奈良だ

せわしない日々を送っていたので、7月から固定ページへの書き込みや投稿が、だいぶ途絶えてしまいました。日時を少し戻って、8月のことから書き込みます。

高等学校生の孫が日本史を学習中ということで、それなら奈良へ連れていこうということになって、8月10日から13日まで、8月の暑い中、クラブ活動のない日を狙って、奈良へ旅行に行きました。

初日は奈良市内のホテルに荷物を預け、すぐに宇治の平等院へ。

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高等学校の修学旅行で来た時以来です。なんか雰囲気が変わっています。もっと前の池が大きかったような記憶が、、。

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だいぶ修復されているんですね。前は建物も赤く塗られていませんでした。調べてみると修復が完成して落成式が行われたのは、平成26年10月1日。どうりで新しく感じるはずです。

もともとは別荘であったものを、藤原道長の子、頼道が父の死後、寺院として建てたものとか。鳳凰堂の中へ入ると浄土へのあこがれというか執念がひしひしと感じられます。正面左の扉が台風の影響で塗装が剥落したので、緊急の修繕をしているとかで、やぐらが組まれて作業が行われていました。そのため、写真では正面扉に白いものが写りこんでいます。

近鉄奈良駅に近い、予約した安いホテル(ピープルズイン花小路)に戻って、サービスのそうめんを食べたが、ここの食堂は利用せずに近くを散策しながら物色、結局、月日亭近鉄奈良駅店に入り、季節御膳、おっとその前にビール、今日は暑かったので。

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翌日は、足を延ばして室生寺と長谷寺。朝早いうちに室生寺へ。結構不便なところで、近鉄大阪線室生口大野駅が最寄り駅。ここからバスなのだが、バスが来る気配はない。タクシーをと探していたら、一台だけさっきまで客待ちだったタクシーにお坊さんのような感じの人が乗り込むところ。未練がましい顔をしていると、すぐ近くまで行くので一緒にどうぞと、ありがたい申し出。甘えることにした。終点の室生寺のすぐ手前で下してもらい、その人はタクシーでそのまま、右側の坂を上っていった。タクシー代は払わなかった。ありがとう。

両側にお土産物屋さんなどが並ぶ道を抜けて、表門へ続く赤い太鼓橋を渡って右折して、仁王門へ。

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奈良の東のはずれ、山裾に囲まれているので、奈良の度重なる戦乱から免れて、建物や仏像はそのまま残っているとか。確かに一番奥の奥の院まで、ずいぶん階段を上りました。奥の院へ行くまで、まずは仁王門をくぐって左に折れ、鐙坂の階段を上がって金堂まで。

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お寺の境内では、朝早いせいかまだ参拝の人はおらず、お坊さんが境内を掃き清めていました。さらに進んで本堂へ。左奥に五重塔が垣間見えます。

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五重塔はさすがに美しいたたずまいでした。何年か前に台風の影響で近くの杉の木が倒れ、屋根が損傷を受けたと聞いていましたが、きれいに修復されていました。この時の工事で建物は900年代に建立されたことが確かめられたとか。

ここから長い階段を上って奥の院へ。途中に暖地性シダの北限地という看板がありました。ともかく上れや上れやというわけで行きついたところが常燈堂。ちょうど周囲の扉をあけ放っているところでした。

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戻りの階段を下りるとき、常燈堂で勤行のための太鼓打ち鳴らす音が聞こえてきました。

まだ2日目の午前だけれど、続きはまたにして、ここでアップします。


梅の木にナナフシモドキが

我が家には2本の梅の木があり、今年は梅の実がたくさんついた。毎年この梅でジャムを作っているのだが、梅の実を採るために木に登ったところ、ナナフシモドキ(だと思うのだが)が目の前にいて、ちょうど脱皮を終えたところだった。

コンデジを取りに家に戻って、撮影したのがこの写真。コンデジだと虫本体にピントが合わずに、ずいぶんトライしたが、どうしても後ピンになってしまう。なるべくピントが合っているものを選んでみたが、やっぱり後ピンだー。


アートとサイエンス

6月14日(日)付の毎日新聞を開いたら、2面に山極寿一さん(京大総長)の「時代の風」が載っており、そのタイトルが「アートとサイエンス」と書かれていました。

http://mainichi.jp/shimen/news/20150614ddm002070061000c.html

ちょうど先々週の6月3日に、東京医科歯科大学で開講している「医療と造形」の担当教員の歓送・歓迎会がありました。本当は3月末にやる予定だったのですが、日程の調整の関係でこんなにずれ込んでしまいました。そこで、物理の学部を卒業後に芸大に入学した人がいて、その作品の話(見えないものを見るなど)から、話が転び、小生が日ごろから感じていること、すなわち、サイエンスとアートはとても近しい関係にあるということを論じた(というほどではありませんが)ばかりだったので、この記事を読んで、同じように考えている人がいるんだと、うれしくなりました。

ここでいうサイエンスとは、もちろん、このところ盛んに言われている「科学技術」と中ぽつのないものではありません。本来の科学、すなわち自然のありようとか仕組みを説明したいという欲求から、自然を観察し、そのありようや仕組みを実証的に説明する作業のことです。

山極さんの記事の中では、この4月に「京大おもろトーク:アートな京大を目指して」というイベントを開催し、狂言師の茂山千三郎さん、メディアアートの土佐尚子さん、ゴリラ研究者の山極さんが、「垣根を越えてみまひょか?」と鼎談をしたそうです。この中で「オリジナリティー」がアートとサイエンスに共通した価値観で、それをどう表現(説明)するかは両者で少し異なるが、根底ではかなり似通っている点があるといっています。

このコラムの最後に、山極さんは「技術を偏重する傾向の強い昨今、アートの心で垣根を越え、新しい常識を生み出すサイエンスが求められている。現代の大学にはアートの発想がもっと必要なのではないだろうか。」と結んでいました。まったくその通りだと思いました。医療と造形の指導をしていただいている教員のアーティストと、授業の休み時間や終わった後に雑談をすると、観察、仮説、表現ということや、実利を求めないことなど、本当に共通した土台があると感じます。技術へ流されている今の科学は、もっとアートと手を携えて、社会に発信していく必要があるのではないでしょうか。

 


善光寺御開帳と松代温泉

御開帳というと2番目の意味が頭に浮かんでしまう不信心者ですが、牛にひかれてならぬ、妻にひかれて善光寺の御開帳に、4月27日から28日に行ってきました。数えの7年ごとなので、次の時にはどうなっているか(生きているか?)わからないから行こう、という一声です。

善光寺はたぶん名前を知らない人はいないほど有名なお寺さんですが、行ってみて(初めてではないのですが、いつ行ったか覚えていません)、知らないことがたくさんあることがわかりました。まず、宗派に分かれる前のお寺なので、XX宗のお寺ではなく、無宗派の単立寺院であること、天台宗の大勧進貫主と曹洞宗の大本願上人の二人が住職を務めることなど、知りませんでした。縁起によれば本尊は絶対秘仏で(つまり誰も見たことがない)、天竺(つまりインド)で作られたものが百済経由で日本に渡来したということです。それが何で長野にあるかというのは、いろいろとお話があるようです。

長野駅から歩いて10分ほどでしょうか、道の両側は町並み保存をしているようで、趣きのある建物が並んでいます。お寺の参道入り口の右側に長野県道路元標があることを知りました。

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参道を進むと右側に宿坊が立ち並んでいます。あとで調べたら、全部で39あるそうです。それぞれに御堂があり、住職がいると書かれていました。なかなか立派な建物です。

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山門には御開帳の文字が掲げられています。

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本堂の前には回向柱が立てられ、そこから一本の五色の紐が本堂の方に伸びています。御開帳とは絶対秘仏である阿弥陀如来の代わりに、前立本尊が本堂内に安置されることを言い、その前立観音にこの紐がつながっています。回向柱に触れることで、前立本尊に触れたのと同じご利益があるということです。

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長い列の最後尾につけ、本堂内に入り前立本尊を拝観。暗い中で待つことしばし。祭壇の上の壁の装飾(後で調べると、左側が来迎二十五菩薩、右側が百菩薩の一部でした)が金色にひかります。

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拝観を終え、今度はお戒壇めぐり。本堂の祭壇の下にある真っ暗なトンネルを手探りでたどり、何やら錠前のようなものを触って戻るというものです。

この後、本堂内を見て回り、賓頭盧様や閻魔様が置かれているのを見ました。そういえば、昔のこと九品仏浄真寺にも閻魔道があっておっかない閻魔さんが置かれていたことや、本堂に正塚のおばあさん(脱衣婆)のいやに白い像が置かれていたことを思い出しました。ここの閻魔さまはちょっと漫画チックであまり怖くありませんが、九品仏のは怖かった記憶があります。出口に近いところで並んでいるので後に着くと、お坊さんに頭をなでられ(たたかれ?)ました。前立本尊拝観、ご戒壇の錠前に触ること、お坊さんの厄払いと3つそろったので、しばらくは安泰でしょう。

本堂の周りには善光寺の縁起を記した額がかけられていたので、それを読んで、冒頭に書いたことを知りました。その後、裏手にある忠霊殿の下にある資料館を見ました。ここにはたくさんの奉納された額が展示されていて、古くから(といっても江戸時代のものが多かった)善光寺が信仰の対象であったことが読み取れます。どれも病気回復とか奇跡に対するお礼の額です。

帰り道、寒天パパのお店を見つけ寒天製品を購入し、教えてもらった喫茶部で冷たいぜんざいを食べました。寒天パパという会社を応援しているのです。

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今日の宿泊場所は松代荘です。松代駅から少し歩いたところにある国民宿舎ですが、ここの温泉がなかなかのです。信玄の隠し湯だということですが、山あいというのではなく平地に建っているのに、豊富な湯量の温泉があるのです。しかもその温泉がなかなかいいのです。

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鉄分のためか赤茶色ににごり、ナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度がとても高いので、なめると塩辛く、写真にあるように飲用にはならないと書かれています。ちなみに1リットル中、ナトリウムイオンが3125㎎、カリウムイオンが423㎎、マグネシウムイオンが280㎎カルシウムイオンが1136㎎含まれています。陰イオンでは塩素イオンが7079㎎、硫酸イオンが294㎎、炭酸水素イオンが2046㎎です。pHは6.52とありました。

http://www.matusirosou.com/hotspa.html

肌にはとてもいいようで、信玄の隠し湯といわれるのは、川中島の合戦で傷ついた兵士の傷と疲れを癒したといわれているためです。ゆっくりと浸かってきました。

翌日は親戚の家を訪ね、お昼は竹風堂の栗おこわ山家定食を一緒に食べました。これも行くと必ずという定番です。

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その後、長野に戻り、そこでも別な親戚とお茶をして、長野新幹線で帰路につきました。


そうだ京都に行こう(2)

2晩、泊まったところは京都北西の鷹峯にある東急ハーヴェスト京都鷹峯というところです。ちなみに会員権を持っているわけではありません。昨年の10月にオープンしたばかりで、どこもとてもきれいでしたし、建物やその配置なども洒落ていました。

さて25日(水)は午前9時からの桂離宮の予約が取れていたので、朝早く宿を出て、佛教大学前まで歩き、そこからバスで京都駅まで。荷物を駅のロッカーに入れて、バスで桂離宮前まで。8時45分の集合時間には遅れましたが、見学ツアー出発の9時の5分前には着くことができました。今日の案内人は、寒いのに扇子を持った御仁で、20人ほどを引き連れて1時間15分ほどの離宮案内のツアーをガイドしてくれました。

ツアーは回遊式庭園をめぐり4つの茶室を訪ねるもので、書院には近づくことも中を見ることもできません(ずっと以前はできたようですが)。それでも茶室は季節に応じて配置を工夫し、簡素な中にもきらりと光るものが随所にありました。

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そのあと、東福寺へ。ここでは有名は方丈の庭(重森三玲による八相の庭)と龍吟庵の方丈を囲む三庭(特別公開だった)を見ました。

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そのあと、伏見稲荷へ。赤い鳥居で有名ですが、中国からの観光客が多かった印象です。なんとなくわかる気が、、。千本鳥居は上まで行くことは諦めました。こんなに山の上まで続くほどあるとは知りませんでした。

最後に東寺へ。

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もうこれでおしまいです。午後6時5分ののぞみで帰途につきました。食事のことは何も書いてありませんが、もちろん食べています。伏見稲荷山門前でいなりずし、それとウズラの焼き鳥を食べました。ウズラ、、懐かしいです。


科学と生物学について考える一生物学者のあれこれ