今度は奈良だ(4)

ホテルの前の小西さくら通りをちょっと南に下るとシャトードールというパン屋さんがあることに気が付きました。店の前にある看板をよく見ると、2階でモーニングセットが370円だと書いてあります。さっそく店の中に入り左手の階段を上がると、結構広くてレトロな雰囲気。階段を上がったところに菓子パンとサンドイッチセットが並べられていて、サンドイッチか菓子パンのどれかを2点とコーヒーで上記の値段だといいます。さっそく座ってコーヒーを注文し、パンを選び、席に戻って朝食となりました。パンもコーヒーも美味しく、コストパフォーマンスの高いお店でした。

今日は奈良市内を集中的に攻めるということで、歩いて奈良町(ならまち)へ。最近、ブラタモリでもちょこっと紹介された元興寺へ向かいました。元興寺はもともとは飛鳥にあった、蘇我馬子が6世紀末に建立した日本最古の本格的寺院である法興寺(現在の飛鳥寺)だそうで、飛鳥寺といえば、あのアーカイックスマイルの飛鳥大仏のあるお寺です。元興寺が平城京への遷都に伴ってこの奈良に移ってきたときは、寺の境内は広大で、猿沢の池の南端から南へ440メートル、東西には220メートルの長方形で、現在の奈良町をすっぽり覆う広さです。

現在の元興寺は、ならまち大通りのすぐ南にある小さな一角に、東門を入り口にして境内には極楽堂(本堂)と禅堂、それと小子堂と収蔵庫があるのみです。元興寺は奥が深く、話し出すと長くなるので詳しくはやめて、簡単に書きます。まずは東門の左にある拝観受付で拝観料を払って、東門をくぐります。

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すぐ正面に極楽堂(本堂)があり、そのすぐ後ろに禅室(僧坊)が建っています(表記は公式ガイドブックによる)。いずれも国宝に指定されています。

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2つの建物の屋根は、行基葺きと呼ばれる、先の少し狭まった丸瓦を重ねていく技法で葺かれているため、段々になっています。上の写真では見えませんが、極楽堂の西側の屋根と禅室の南側の屋根の瓦は、飛鳥から移設した際に瓦をリサイクルしているため、瓦の色がすべておなじではなく、古い瓦は赤みを帯びています。

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平瓦や軒丸瓦にも、いろいろと違いがあるようですが、そこまではわかりませんでした。

元興寺の極楽堂(本堂)のご本尊は、仏像ではなく厨子入り智光曼荼羅です。本堂へ上がりましたが、厨子の入っていて小さいのでよく見えないのですが、後ろへ回ると同じデザインの大きな曼陀羅がかかっていました。

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この曼陀羅を眺めていると、通りかかったお坊さんが説明をしてくれました。曼陀羅信仰のこと、智光のこと(写真の下の方にいる、確か右の僧)などなど。大変お話し好きの、人当たりのいいお坊さんでした。後で公式ガイドブックを買って読んでみたら、ここの住職さん(辻村泰善さん)でした。ありがたや、ありがたや。

極楽堂の北西の隅には、鎌倉時代の閼伽棚があり、国宝と書かれていました。この極楽堂は、下の方で載せるかっての広大な寺域に広がる大伽藍のうちの、東室僧坊の南端の建物を鎌倉時代に改築したもので、おそらくその時に作られたのでしょう。パッと見は何の変哲もない棚に見えますが、時代ものなんですね。

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この極楽堂・禅室の建物と宝物館(ガイドブックでは総合収蔵庫)・小子坊の間の細長い敷地の道を挟んだ極楽堂側には石を積んだ五輪塔、反対側には舟形五輪塔がたくさん並んでいます(浮図田と呼びます)。

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道の奥にはこの寺の住職の墓地があり、その中に「當寺中興〇山 大僧正乘瑞泰圓大和尚塔」(〇は撮った写真では葉っぱに隠れて読めない)というものがありました。後で気が付くのですが、公式ガイドブックには、昭和18年に辻村泰圓が宝山寺から特任住職として入山して、それまで荒れ果てていた元興寺の復興に奔走し、戦争中、戦後の混乱期の中断を挟んで昭和45年までかかって今の形になったとありました。墓碑銘からしてこの方のものなのでしょう。写真を見ると、先ほど曼荼羅の説明をしてくれた住職とよく似ていらっしゃるので、親子なのでしょうね。

奥まで巡った後、小子坊を覗いて(休憩所のようになっている)、収蔵庫へ。ここに国宝の五重小塔があります。高さ5.5m、内部まで成功に作られていて、美しいたたずまいをしています。そのほか、阿弥陀如来坐像も端正な顔立ちをしていらっしゃいます。興味を惹かれたのは、聖徳太子像が複数体、あったことです。太子信仰と関係があるのでしょうか。この建物は元興寺文化財研究所とつながっていて、その展示室も見ることができます。でも訪ねたときにはそのことに気が付きませんでした。なんで元興寺とは関係ないものが展示されているんだろうか、という感想で、うかつでした。元興寺訪問の項の最後に公式ガイドブックに載っていたかっての寺域を示す地図(上下が切れていますが)と、ガゴゼのシールを載せておきます。

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詳しくは書かないといって、ずいぶんと書いてしまいましたが、ともかく悠久の歴史を背景に持った、しかし新しい時代にも前向きな、とても興味あるお寺さんでした。

まだ3日目の午前中で、これから春日大社を訪れるのですが、今日のところはこの辺で。


ちょっと気分転換に(3)

いかん、いかん、「今度は奈良だ」を完成させなければ次へ進めないと、思いつつ気分転換に時間を割いてしまって。でもちょっとした隙間時間には短い気分転換がいいので、お許しを。第3弾です。

ノルドマンエボシミジンコ

これもプランクトンでノルドマンエボシミジンコといいます。学名はEvadne nordmanniです。前回のオオタルマワシと違って、ちょっとお茶目な感じですね。


今度は奈良だ(3)

「今度は奈良だ」の3回目です。まだ2日目の午後、やっと飛鳥に着いて、駅前で自転車を借りるところまで前回、お話ししました。

3年ほど前にも飛鳥へ来ているので、その時、行っていないところというので地図を片手に出発。毅聖(孫、高校2年)が先導で、どこをどう走ったのか思い出せないのですが、細い道を急な坂を上ぼり、途中高速道路の下をくぐり、途中から自転車を押して、坂の途中の空き地に自転車を止めて、最後は徒歩で岡寺を目指しました。坂の途中から三重塔が見え、やがて山門が見えてやっと到着。暑いー!

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仁王門から入ってまだまだ続く階段を上り、三重塔を右手に見ながら左に折れて本堂へ。

本堂に安置されている本尊は如意輪観音。日本最大の塑像の仏像だとか。えー、粘土の像しかも高さが4.85m、うーん、塑像の実習をやらせてもらっている小生としては信じられないほどの大きさと古さ。奈良時代の作というと1000年以上前。途中、補修をしているというが、乾いて崩れないのかしら。という心配をよそに、目を細めてこちらを凝視していらっしゃいます。

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龍蓋池の脇を通ってさらに奥に。かなり奥まったところに奥の院。石窟です。暗い中へ入ると、石の仏様が安置されています。

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三枚続きの一番下の写真は、フラッシュを炊きました。まぶしくしてごめん。奥の院から左手へ丘の中腹の道を通って進むと、境内が見下ろせます。手前には鐘楼が見えます。途中には新しい墓所もありました。

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鐘楼は、誰でも鐘をついていいというので、ゴーン。とても良い響きです。

岡寺を後に、坂を下って石舞台に。前回もきたけれど、やっぱり飛鳥といえば石舞台でしょう。4時半を過ぎてもう遅くなってきたけれど、駐車場わきの駐輪場に自転車を止めて入口へ急ぐと、受付は閉じる寸前。間に合いました。

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その後、伝飛鳥板葺宮跡へ行き、急いで飛鳥駅前に。自転車を返却して、電車に乗って近鉄奈良駅に戻りました。この日の夕飯は、ホテル近くのインド料理屋さんでカレーとナン。おっとその前にGolden Eagleというビールを一本。

まだまだ続くけれど、今日はこの辺で。また来週、じゃなかった、またあとで。


ちょっと気分転換に

ちょっと気分転換するために、うんと昔のスケッチを持ちだしてきて、スキャンしてみました。

これは学部3年生に夏の動物分類の臨海実習でスケッチしたものです。薄い鉛筆を使っているのでコントラストが小さく、少し強調してスキャンしています(本物はもっと淡い感じです)。

懐かしいですね。今からウン十年前のものですから。

スカシカシパン

名前を入れたのに、投稿ページに挿入するときに消えてしまっている。和名はスカシカシパン、学名はAstriclypeus manniです。


今度は奈良だ(2)

続きです。近鉄大阪線で2つ戻って長谷寺駅へ(いやー、今朝は近鉄奈良駅から来たのだけれど、近鉄の路線も複雑ですねー)。駅は小高いところにあり、坂を下って大和川(初瀬川)を渡り、右に折れて初瀬街道をてくてくと。暑い日でかなり消耗。途中表参道を通るルートよりも手前で左折してしまい、不安に思いながら坂を上がり、さらに左折してようやっと仁王門へ続く参道の下に到着しました。

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仁王門を通って、有名な登廊へ。これも長い階段だー。

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両側にはボタンが植わっているが、どれもこの暑さで葉っぱが茶色に変色。季節になったら咲くのかしらと心配になるほど。夏の長谷寺はあまり魅力的ではない感じ、サクラとボタンの春がきっといいのだろう。ところでこの長谷寺、創建は奈良時代、8世紀の前半とか。古いお寺さんなのです。

繋屋を右に曲がって短い中登楼を通り、さらに左へ曲がって上登楼を本堂へ。登りきった本堂横に設置してある扇風機で風を受け、しばし涼んだ。暑かったー。

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本堂の相の間(正堂と礼堂の間)を通って、正堂に安置された本尊十一面観音を礼拝。この日は法要が営まれていた。静かに遠くから観音を眺める。撮影禁止だけど遠くからなので許して。

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そういえば、鎌倉にも長谷寺があり、あそこの本尊も十一面観音だった。知らべてみると、ここの観音像と同じ楠で作られ、一体をここ奈良の長谷寺へ、もう一体を祈祷の上、海に流したところ三浦半島に流れ着き、それを鎌倉に安置して鎌倉長谷寺としてと寺伝にあるという(Wikipediaによる)。うーん、結構、壮大な宗教上の作り話だ。

でも確かに、紀伊半島と三浦半島、房総半島は海流の関係で深く結びついている。地名にしても、南紀白浜と安房白浜、南紀勝浦と安房勝浦など同じものが多い。三浦半島の名前の由来となった三浦氏は平氏の子孫だとか。そういえば筆者が大学院博士課程の時は、東大の油壷臨海実験所で研究を行っていたのだが、そこは三浦道寸が北条早雲と戦って討ち死にした新井城の跡地にあり、空堀の跡などがあったことを思い出す。あり得ない話ではないのかも、、。

脱線したので軌道修正。本堂の回りをうろうろしていたら、一段の若いお坊さんが本堂前を通り抜けて登楼を下って行った。修行中なのかしら。

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お決まりのコースをたどって五重塔のわきを通り、六角堂の横を抜けて最初の参道へ。

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途中右へそれて本坊の方へ。皇族の方のお手植えの松がたくさんある。本坊の前から見上げると、初瀬山の中腹に抱きかかえられるように建てられて本堂の様子がよくわかる。懸け造り部分(清水の舞台のような)は工事中では入れなかった(写真では工事用フェンスでおおわれている)。

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帰りは表参道をちゃんと通り、途中でおひるごはん。息を吹き返して、元の初瀬街道を近鉄長谷寺駅へ。大阪線で大和八木駅まで戻って、今度は橿原線で飛鳥駅へ。駅前で自転車を借りて、今度は明日香を巡ろうというのです。まだまだ続くけど、今日はここまで(どこかで聞いたセリフだけど)。


今度は奈良だ

せわしない日々を送っていたので、7月から固定ページへの書き込みや投稿が、だいぶ途絶えてしまいました。日時を少し戻って、8月のことから書き込みます。

高等学校生の孫が日本史を学習中ということで、それなら奈良へ連れていこうということになって、8月10日から13日まで、8月の暑い中、クラブ活動のない日を狙って、奈良へ旅行に行きました。

初日は奈良市内のホテルに荷物を預け、すぐに宇治の平等院へ。

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高等学校の修学旅行で来た時以来です。なんか雰囲気が変わっています。もっと前の池が大きかったような記憶が、、。

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だいぶ修復されているんですね。前は建物も赤く塗られていませんでした。調べてみると修復が完成して落成式が行われたのは、平成26年10月1日。どうりで新しく感じるはずです。

もともとは別荘であったものを、藤原道長の子、頼道が父の死後、寺院として建てたものとか。鳳凰堂の中へ入ると浄土へのあこがれというか執念がひしひしと感じられます。正面左の扉が台風の影響で塗装が剥落したので、緊急の修繕をしているとかで、やぐらが組まれて作業が行われていました。そのため、写真では正面扉に白いものが写りこんでいます。

近鉄奈良駅に近い、予約した安いホテル(ピープルズイン花小路)に戻って、サービスのそうめんを食べたが、ここの食堂は利用せずに近くを散策しながら物色、結局、月日亭近鉄奈良駅店に入り、季節御膳、おっとその前にビール、今日は暑かったので。

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翌日は、足を延ばして室生寺と長谷寺。朝早いうちに室生寺へ。結構不便なところで、近鉄大阪線室生口大野駅が最寄り駅。ここからバスなのだが、バスが来る気配はない。タクシーをと探していたら、一台だけさっきまで客待ちだったタクシーにお坊さんのような感じの人が乗り込むところ。未練がましい顔をしていると、すぐ近くまで行くので一緒にどうぞと、ありがたい申し出。甘えることにした。終点の室生寺のすぐ手前で下してもらい、その人はタクシーでそのまま、右側の坂を上っていった。タクシー代は払わなかった。ありがとう。

両側にお土産物屋さんなどが並ぶ道を抜けて、表門へ続く赤い太鼓橋を渡って右折して、仁王門へ。

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奈良の東のはずれ、山裾に囲まれているので、奈良の度重なる戦乱から免れて、建物や仏像はそのまま残っているとか。確かに一番奥の奥の院まで、ずいぶん階段を上りました。奥の院へ行くまで、まずは仁王門をくぐって左に折れ、鐙坂の階段を上がって金堂まで。

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お寺の境内では、朝早いせいかまだ参拝の人はおらず、お坊さんが境内を掃き清めていました。さらに進んで本堂へ。左奥に五重塔が垣間見えます。

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五重塔はさすがに美しいたたずまいでした。何年か前に台風の影響で近くの杉の木が倒れ、屋根が損傷を受けたと聞いていましたが、きれいに修復されていました。この時の工事で建物は900年代に建立されたことが確かめられたとか。

ここから長い階段を上って奥の院へ。途中に暖地性シダの北限地という看板がありました。ともかく上れや上れやというわけで行きついたところが常燈堂。ちょうど周囲の扉をあけ放っているところでした。

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戻りの階段を下りるとき、常燈堂で勤行のための太鼓打ち鳴らす音が聞こえてきました。

まだ2日目の午前だけれど、続きはまたにして、ここでアップします。