生い立ちの記(11)中学校時代補遺

生い立ちの記(10)で映画のことを書きましたが、読んだ本については触れませんでした。映画狂いだと書きましたが、もちろん本も読んでいたはず、でも小学校の項で書いたように、すっとは思い出せません。幸い中学校時代のノートが何冊か見つかり、その中に1年生のときのノート「文学に関して」というのがありました。それを手掛かりに書いてみようと思います。

「文学に関して」とはずいぶん大きなタイトルですが、パラパラと中を見てみると、最初の数ページにしか書き込みはありませんでした。その冒頭のものは感想文で、教育実習に来ていた先生の宿題のために作って提出したようです。先生から赤ペンで書き込みがありました。そののまま載せておきます。ちなみに、「生い立ちの記(8)」に、実習終了の際に撮った写真とともに、このことが書いてあります。

「わがはいは猫であるを読んで   夏目漱石
夏目漱石の作品を読んだのは二度目だが この「わがはいは猫である」は猫が経験したことや猫が主人と友の会話を聞き批評するというような面白い書き方である。
この作品の中には明治時代のすがたや、生活などがあらわれている。今の時代とはかわっている生活や特色がおもしろくわかる この猫はおもしろい猫で こんな猫がいたらおもしろいと思った。」

これに対して先生は赤ペンで思ったことを書き込んでいてくれています。そのまま載せます。

思ったこと
たいへん面白く読ませてもらいました。これからも色々な本を読んで、その後でこのような感想などを書いてごらんなさい。表現力がつくことはもちろん、次の本を読む大切な態度が養われていくものです。
 この本の中で漱石は、猫を主人公として人間の生活を客観的に書いてみようと思い立ったのですね。当時の生活や時代がよく描かれているという森谷君の観察は大へんりっぱだと思います。その上に当時の生活と現在とではどうか。又人間の良い面悪い面などを、ここで考えてみるとさらによかったのではないでしょうか。

イヤー、過分なお言葉で恥じ入るばかりです。コメントに反応して、たくさん本を読んだかどうか覚えてませんが、ノートには冒頭の上の文章の後に、「梅雨時の雨」という詩のようなものと、「別れの曲を聞いて」という短い感想文があり、その後にもう一つ、読後感想文があります。

「千曲川のスケッチを読んで   島崎藤村
千曲川沿岸の生活のことを書いている。小諸にいてその辺のことを書いたのだ。短い文の中にその辺りの生活がはっきり表れていてよくわかった。また文の表現もいいと思った。この辺りの性質は、農業はよくなく、放牧などをやっていることなどさまざまなことがわかった。」

ウーン、たいした感想文ではないですね。次にあるのは観察文です。こちらはかなり長い文章です。全文を載せておきます。

「アリとアブラムシ   森谷 勝
 うちの庭はあまり広くない。北側と南側にある。北側には栗の木がある。この栗の木、九品仏で買ってきたものだがもう一mくらいになって、今年花がさき、今、小さな実もなっている。
 この栗の木をふとしたことからちょっと見た。すると、黒く動くものがある。なにげなくそばへよって見ると、それはアリとアブラムシであった。アブラムシがいっぱいくきについて、そのそばをありがいったり来たりしていた。
 これはおもしろいと思ってよくそばへ行って見た。ありは赤みがかった茶色、アブラムシは黒で、いままで見たのよりは大きかった。アブラムシは木のしるを吸うというから、どんなしくみだろうと思い、虫眼鏡を持ってきてそれで見た。そうしたらあったあった、ぼくの思った通り「せみ」と同じような管が口からくきにさされていた。
 アリはそのそばにいて敵から守るようにまた出来ぐあいを見るかのように、その長いしょっ角でアブラムシの体をなぜまわしていた。一匹のアブラムシを取ろうとしたら、アリが戦いをいどんできた。これでアブラムシを守るのだということがわかった。しかしアリは少さいのでなんともないからアブラムシを取ってつぶしてみた。すると中から茶色のねばねばしたしるがでてきた。これが木のしるだということはだいたいわかったが、どうしてアリにしるをやるのかとぎ問に思った。だがそれも少し見ているとわかった。アリはアブラムシのうしろにまわり、後足と相談しているかのように動しあって、やがてアリがしりに口をあてていた。これでアリがしるをのんでいるとわかった。
 アリとアブラムシはたがいに共同生活をしていることがはっきりとわかった。」

読みやすいように、パラグラフの冒頭に空白を置き、読点を補充してある以外は原文のままです。「少さい」は「小さい」の誤り。ずっと「少」と「小」が区別できなかった記憶があります。

記述から、クリにつくクロオオアブラムシとトビイロケアリではないかと思われます。

http://ryoi.ldblog.jp/archives/51994858.htmlからお借りしています。

まだ、相利共生という言葉を知らなかったようですね。今の中学一年生はもっとまともな観察記録を書いたり、実験計画を立てて実験をすると思いますが、当時としてはこんなものでしょう。

中学2年生の時の読書ノートと題したノートが残っています。こちらも中身はわずかで2つの本の感想しか書かれていません。最初の作品は「次郎物語」です。読んだのは7月 ~7月25日となっています。その他の書誌事項が書かれていて、角川文庫版の1から5巻を読破したようです。
3 読もうとした動機
 学校で教科書にでていたが、一部だったので、みんなよんでみようと思って友達からかりた。
4 内容
 少年時代 里子として、子使いの家へあづけられ、本家へ帰って差別待遇を受け、正木の家へ行く。しかし、ひねくれたりしないで育っていく。
 青年時代 中学へ入って朝倉先生というよい先生にみちびかれ、白鳥会へ入ってますます物事を考えるようになる。そして朝倉先生は学校をやめ、次郎はあとで退学になる。そして先生のいる東京へ行き、先生の塾の助手になり、いろいろな人と接し、考えていく。
5 特に重要な点
 みんな重要に思う。これからぼくたちが逢って行くような出来事を次郎が経験して考えていく。
6 感想・批評
 非常に感めいした。

もう一冊は、バレリオ・ズルリーヌ著、若城希伊子訳の「芽生え」(昭和33年5月30日発行・秋元書房)です。生い立ちの記(10)で映画について触れていますが、読もうとした動機が、「映画の広告で見、本屋で実物を見て読もうと思った。」とありますから、映画より先に読んだのかもしれません。8月5日から7日に読んでいるようです。あらすじが書いてあり、特に重要な点は、「別にない」とそっけなく書かれ、感想・批評は「非常に美しい物語だった。」とあるだけです。

「次郎物語」には大きな影響を受けました。これ以降も一度ならず、読んでいると思います。3巻にある「無計画の計画」ということにひかれて、後年、高校に入ってからですが、友達と3人で歩いて房総半島の方へ行った記憶があります。市原あたりの駅で夜を過ごしたりしましたが、途中で挫折して帰途につきました。

寺田寅彦の随筆集である「藪柑子集」ともう一つ名前を忘れたがやはり随筆集、どちらも文学全集(出版社は失念)に収録されていたものを読みました。内容は憶えてていませんが、面白かったと感じたことを記憶しています。

「雨にも負けず」が教科書に載っていた記憶があります。教科書の出版社がどこだったかは覚えていませんが、手帳に記されていたカタカナ表記ではなく、ひらがな表記で載っていたと思います。口からついて出るように暗記しました。今でも、スラスラではありませんが復唱できます。「ほめられもせず くにもされず そういうものにわたしはなりたい」という最後の部分は、胸に来ました。「永訣の朝」も2年生だったかの教科書に載っていたような。そんなこんなで、宮沢賢治の詩集「春と修羅」を愛読しました。「序」がとても印象的でした。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
(後略)

そのほか、「くらかけの雪」、「ぬすびと」、「春と修羅」、「風景」、「真空溶媒」、「蠕虫舞手」などが好きでした。どの詩も、その語彙に化学や鉱物の言葉が多く含まれ、独特な雰囲気を持っています。「雲はたよりないカルボン酸、さくらは咲いて日にひかり」とか「(むらきな)ひばりのダムダム弾がいきなりそらに飛びだせば」とか、「(えゝ エイト γガムマア イー スイツクス αアルフアことにもアラベスクの飾り文字)」とか。

いつ、どこで買ったか憶えていないのですが、「雨ニモ負ケズ」の色紙を持っています。

後年、確か日本文学館で「春と修羅」の復刻版も購入しました。

これ以外にも、筑摩書房から出版された「宮沢賢治全集」を何度か購入しています。また、大学に入ってから、宮沢賢治研究会の例会に出席したこともありました。最近、今野勉さんの「宮沢賢治の真実」(2017)を読んで、賢治に対する見方もさらに変わりましたが、当時は純粋に詩とその言葉だけを楽しんでいたように思います。もちろん「オッペルと象(今はオツベルだそうですが)」や、「注文の多い料理店」、「風の又三郎」、「セロ弾きのゴーシュ」、「銀河鉄道の夜」なども読んでいますが、ここでは詳しくは触れないことにします。

「詩集」と題されたノートもありました。相変わらず表紙だけは大仰ですが、中には4編の詩しか書かれていなくて、大部分が白紙でした。「幸福」「自分」「心」「無題」と、何か揺れ動く心の内を吐露しているようです。恥ずかしいけど再録すると、三月六日夜十一時に書かれた「自分」は次のようなものです。

自分は今 ここにいる
そしてこの詩を書いている
自分は何なんだろう
僕は自分がわからない
何故って?
だって
僕はみんなとはしゃいだりしゃべったりするのが好きだ
だが反面 一人で空想したりするのも好きだ
だからば僕は自分がわからない
自分は何だろう

このノートの間に、ペンパル紹介のはがきが挟んでありました。思い出します。学校で確かペンパルと英語で文通しようということで、申し込みをしたのです。ユネスコ・コレスポンデンス協会という文京区音羽町にある組織から、紹介のはがきがきました。日付から見ると2年生の終わりです。そこにある宛先に、英文で手紙を書いて送りました。確か1回、返事が来た記憶があります。でも長続きはしませんでした。

夏休みの宿題ノートもありました。2年生の時のものです。「プランクトンの採集と観察」というタイトルで、全部で7ページの短いもので、最初の2ページは動物性プランクトンと植物性プランクトンについて調べたことを記述しているので、実際の観察の記録は5ページ、ちょっと寂しいですね。生い立ちの記の(9)に2年生の夏休みの宿題として静電容量式センサーの制作をしたと書きましたが、このノートがあるので、センサーは3年生の時でしょうね。ここで訂正しておきます。

最初に、どんなところにプランクトンがいるかということで、多摩川丸子橋下と宝来公園内の池で採集している。採取した日は8月13日(水)9時35分から10時、天気は晴れ、気温は28度、雲量約8と記録されている。採取した水をスポイトでスライドグラスの上に1滴落として、顕微鏡で1視野中を15秒間に何匹通ったかを数えている。倍率はx200倍で3回繰り返した。結果は以下の通り。 

    1回目 2回目 3回目
 1 水の流れているところ(丸子橋下)  0  2  1
 2 よどんでいるところ(宝来公園)  4  2  2
 3 池のまわり(岸より20cm位の所)  1  3  1
 4 まんなか(岸より200cm位の所)  1  0  0
 5 池の表面  2  4  3
 6 深い所(水面より20cm下)  1  0  1

この結果から、水のよどんでいる所(池など)、池では池のまわり、また表面に比較的多いと結論しています。

さらに洗足池で自作のプランクトンネットを使って、ボートでこれを引き、池の真ん中、池のまわりの表面、深い所(水面下1m位)から採集しています。結果は省略しますが、「池のまわりの浅いところに多いと見える」と結論しています。

プランクトンの多い池と少ない池ということで、宝来公園、洗足池、碑文谷公園で水温を測定して、採取していて、温度が高い池の方が多いと言っています。また、宝来公園で午前10時、12時、午後3時、8時に採集して、夜の方が多いような、と書いています。

観察回数はもう少し多い方がいいと思いますが、夏休みの後半に慌ててやった宿題(最後の採集は8月31日でした)という感じですね。最後のページにケンミジンコを顕微鏡で覗いてスケッチしたものが載っていました。

この他、社会のノートが2冊ありました。1年の「世界地理」と3年の「経済」です。これらは結構真面目にノートしています。受験が近くなって、社会の勉強もちゃんとしなければと思ったのでしょうか。何しろ当時は9科目受験でしたものね。

 


科学と生物学について考える一生物学者のあれこれ

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