生い立ちの記(6)この頃までに読んだ本

前の(5)に、「ノンちゃん雲に乗る」の原作本について書きましたが、このころまでに読んだ本について、もう少し書いておこうと思います。

最初に手にした本は何だったか、思い出そうとしています。子供のころは、今のように絵本の類はほとんどなかったと思います。唯一、覚えているのが満州鉄道のあじあ号が描かれた絵本です(写真はWikipediaより)。

本のタイトルは思い出せませんが、瀋陽駅(多分)に停車中の雄姿を見開きで描いた図を見た記憶があります。他にもレニングラードだったかの駅に停まっている列車の絵があったように思うので、世界の列車についての絵本だったのでしょう。本に鉛筆で、鉄道信号機のいたずら書きをしていました。

その次が、母が高等女学校で使っていた動物学の教科書でした。誰が書いた教科書だったか思い出せなくて、国立国会図書館のサイトを使って調べたのですが、これだと思うものは見つかりませんでした。これかも、というのが丘浅次郎の「最新動物学教科書」 東京六盟館 大正5年、あるいは谷津直秀の「輓近動物学教科書」 開成館 大正3年ですが、いずれもちょっと違います。中身を見てみると、体裁は(内容も)どれも似たようなもので、母の教科書もこんな感じだったです(次の写真は谷津著のもの)。動物を分類して並べたもので、図版が多く、記憶によれば、ゴクラクチョウの大きな挿絵やトタテグモ(すごく印象に残っている)の挿絵があったはずです。

どうしても気になって、屋根裏に置いてある昔のものを詰め込んだ段ボール箱を引っ張り出して探したら、ありました!その教科書が!。帝国書院が昭和3年に発行している「教範動物学」戸澤冨壽著です。背表紙の名前欄に、本科2年4組とありますから、現在の中学校2年生に該当します。これがその教科書で、表紙と中扉です。懐かしいなー。
丘や谷津の教科書にはなかったが、この教科書にはカラーの図版が多く入っています。次の2枚は目次と本文の間にある図版です。
1枚目の図版を被う薄紙には以下の文章が印刷されています。原文のまま載せます。

阿弗利加象の怒り
広莫な原野を走る雄大豪壮なその姿!嘗ては恐るべき巨獣と大爬虫類の跋扈した世界に、今は阿弗利加大陸に残る阿弗利加象こそ陸上の最大動物である。彼は頗る長大な牙と広大な耳とを具え、前額に隆起の無いことが印度象と区別され、其の性質粗暴であることも亦異なっている。彼の頭に短く眼は小さいが鼻と足とは大に発達して恐るべき力を持っている。殊に彼の嗅覚は優れ、身に及ぶ危害を之で知る。
今や近づく外敵に向かって鼻を伸ばし、牙を槍のように突出し、耳は翼のやうに風を打ち、物凄い叫びを原野の彼方に響かせて勇猛にも恐ろしき歩を進めて行く。此の粗暴な阿弗利加象も最近は仔象より飼育して労役に従事させることに成功したと云ふから、印度象とおなじやうに将来は阿弗利加文化の進展と共に彼も亦彼地の産業に貢献することが少なくないであらう。

2枚目の図版を被う薄紙には、それぞれキンギョの名前があります。図版の左側には、母の鉛筆書きで「外国へ金魚の輸出金八十万円(年さん額)金魚の先祖(鮒)」とあります。

本文の最初の3ページを載せておきます。
以下8つに分けた門の順に、それぞれの門に属する動物とその特徴などを記載しています。第一門脊椎動物、第一綱哺乳類から始まります。
皆スキャンして載せたら大変なことになるので、後はよく覚えているページのいくつかを。
上に書いた記憶にあるという、ゴクラクチョウの挿絵、ありましたよ!
次のページにあったニワトリの品種が並んだ挿絵もよく覚えています。
各鳥類の卵のカラー図版も、、。でもきりがないので、載せるのはこれまでにしておきましょう。そうそう、トタテグモが載っているページです。

鉛筆でいたずら書きをしたページが最後の方にありますから、早くからおもちゃの代わりに与えられ、この本で遊んでいたようです。ところどころ破れたページもありますし。その後、物心ついてから小学校へ上がるまで、この本を飽きもせずに眺めていたように思います。この本から、いろいろなことを学んだ気がします。

小学校に入ってから読んだ本で、はっきり覚えているのが下記の3冊です。

「卵のひみつ」 内田清之助 光文社 昭和25年
「動物の子どもたち」 八杉龍一 光文社 昭和26年
どちらも「少年少女の科学物語」というシリーズの中の一冊です。
ただし、「卵のひみつ」の方も、「動物の子どもたち」のようにカバーがあり、そこにはいろいろな種類の色のついた卵がカラーで印刷されていました。この2冊は、クリスマスプレゼントとしてイブの夜に枕元に置いてあったのです。おそらく父が買ってくれたのでしょう、朝起きて、それを見つけたときは、とてもうれしかったのをはっきりと覚えています。

小学校低学年の時に読んだもう一冊は、「地球が生まれた」 金子孫一・文、古沢岩美・絵 新潮社 昭和27年3刷です。これも石炭紀の羊歯の巨木をバックに大型のトンボや両生類・爬虫類が描かれた図や、いろいろな恐竜などの絵をよく覚えています。

象のババールの絵本を2冊、たぶん「象のババール」と「ババールの子供たち」だったと思いますが、このころ読んだ気がします。

尾山台小学校を卒業するときに、黒田先生(担任ではなかったので、習ったかどうかはっきりと覚えていません、ごめんなさい)から2冊の本をもらいました。新しい本ではなく、確か「もう我が家では読まなくなったから」と言って、もらったような気がします。日本少国民文庫の次の2冊です。

「君たちはどう生きるか」 吉野源三郎 昭和23年10月20日発行 新潮社 三刷
「心に太陽を持て」 山本有三 昭和23年4月10日発行 新潮社 七刷

このシリーズは、昭和10-12年に最初のシリーズが出版された後も、何回も増刷されていますが、もらった本は、珍しくほぼ真四角な本だった気がします。多分、上の写真の版(昭和23年発行のの改訂版)だったのでしょう。この版では、当用漢字に改められています。

「君たちはどう生きるか」は、コペル君が、伯父さんと一緒に行った百貨店の屋上から下を眺め、伯父さんお話を聞く最初の出だしを覚えていますが、その後の内容はうろ覚えです。最近(2017年)、この本のマンガ本が出て大ヒットをし、話題になりました。もう一度読んでみようかなと思います。

一方の「心に太陽を持て」の方は、レセップスの話をよく覚えています。「パナマ運河物語」というタイトルで、パナマ運河開削の話です。レセップスはスエズ運河開削成功の後に、パナマ運河の開削を試みるのですが、難工事の上、黄熱病やマラリヤによって作業員がたくさん死んだりして、結局、工事を放棄し、そのあとアメリカに引き継がれて完成するまでの話です。レセップスの名前はよく覚えているのに、アメリカに引き継がれてからの主要な部分はあまり覚えていません。アメリカは軍医が事業に参加させて、徹底的に蚊の撲滅をして衛生状態を改善して工事を行っているのですね。レセップスの名前が鮮明なのは、どうやら小学校の国語だったかの教科書に、出てきたかららしいです。

「くちびるに歌を持て」という話も載っていて、難破した船から海に投げ出され、帆柱につかまって漂流した人達の、恩地幸四郎による挿絵があり、その中の一人の女性が歌を歌って皆を励まし、救助されたという話だったと思います。

で、この本の冒頭に有名な次の詩が載せられています。版によって少しずつ訳が異なりますが、もらった版のものは下記のようなものだったはずです。

心に太陽を持て  ツェーザル・フライシェルン
心に太陽を持て
あらしが吹こうが、雪が降ろうが
天には雲
地には争いが絶えなかろうが!
心に太陽を持て
そうすりゃ何がこようと平気じゃないか!
どんな暗い日だって
それが明るくしてくれる!

くちびるに歌を持て
ほがらかな調子で
毎日の苦労に
よし心配が絶えなくても!
くちびるに歌を持て
そうすりゃ何が来ようと平気じゃないか!
どんなさびしい日だって
それが元気にしてくれる!

他人のためにもことばを持て
なやみ、苦しんでる他人のためにも
そうしてなんでこんなにほがらかでいられるのか
それをこう話してやるのだ!
くちびるに歌を持て
勇気を失うな
心に太陽を持て
そうすりゃなんだってふっ飛んでしまう!

「心に太陽を持て、唇に歌を持て」というように短くして覚えていて、こんなに詳しい内容は正確には覚えていませんでした。今回調べてみて、第3連など改めてなるほどと思いました。

(付記)主要な部分を書き終えてアップした後で、国会図書館へでかけてもう一度調べ、恩地幸四郎の挿絵を追加しました。また、昭和31年発行の新編に載せられている詩は、以下のようにずいぶん短くなっていることがわかりました。元のドイツ語の詩に近いのは、最初に掲げた方です。ただし、新編の方には、團伊玖磨作曲による楽譜もついていました。

心に太陽を持て  ツェーザル・フライシェルン
心に太陽を持て
あらしがふこうと、
ふぶきがこようと
天には黒雲
地には争いが絶えなかろうが
いつも心に太陽を持て。

くちびるに歌を持て
軽くほがらかに
自分のつとめ
自分のくらしに
よしや苦労が絶えなかろうと
いつもくちびるに歌を持て。

苦しんでる人
悩んでいる人には
こうはげましてやろう
「勇気を失うな。
くちびるに歌を持て。
心に太陽を持て。」

家には蔵書というものがほとんどありませんでした。よそのうちに本棚があり、そこに本が並んでいるのを見ると羨ましいと思ったものです。「ラドン」を一緒に観に行った米倉君の家に行き、大トンボのヤゴが出てくる場面をマンガを描いたことは書きましたが、彼の家に行ったときに本棚に本が並んでいるのを見ました。主に写真の本でした。父上は日本広報通信社というところに勤めていたカメラマンだったかと思います。大型の二眼レフカメラを持っていました。本棚に「記録写真・太平洋戦争」(上・下)ロバート・シャーロッド、中野五郎編、1956年 光文社カッパ・ブックスがありました。
開いてみると、サイパン島のバンザイ突撃で玉砕した兵士や、南方で戦死した兵士の遺体の写真がいっぱい載っていました。前回の生い立ちの記の映画編では触れませんでしたが、この頃、市川崑の「ビルマの竪琴」を観ています。あの映画の中にも、兵士の遺体(もちろんこれは本物ではないですが)がたくさん出てきます。この頃、東京大空襲とか広島の原爆とかのたくさんの戦争犠牲者の写真を見た気がします。十分すぎるほど。

これとは別に、本棚には「カメラ毎日」が並んでいました。その中で一番印象に残っているのは、Wynn Bullockの「 Child in Forest 1951」という作品です。実はこの作品、ずっとカラーだったと思っていました。緑色の林床の草と肌色のコントラスト、そう思っていたのです。でもこれを書くにあたって調べてみると、白黒の作品でした。白黒でもハッとするような作品です。
上の写真はWynn BocksのHPより

悲惨な戦争と静謐な美しさ、なんという本箱の中のコントラストでしょう。

小学校の低学年の頃、光文社の雑誌「少年」を購読していました。「鉄腕アトム」が連載され始めてすぐだったと記憶しているので、小学校2年のころだと思います。手塚治虫の「鉄腕アトム」は毎月楽しみにしてました。4年後の小学6年生の時に、「鉄人28号」の連載が開始されました。アトム派と28号派が、どっちが好きか言い合った気がします。僕はアトム派でした。

「少年」の連載だったかどうか覚えていないのですが、この頃の漫画でよく覚えているのは、杉浦茂の「猿飛佐助」、ギャグマンガでした。それと「赤胴鈴之助」、ラジオで放送されて、「♪剣を取っては日本一の、夢は大きな少年剣士、、」という主題歌が流行りました。

「少年」には、読み物として江戸川乱歩の「少年探偵団」が連載され、これもよく覚えています。怪人二十面相と戦う、小林少年を団長とする少年探偵団の活躍を描いたもので、「少年」には昭和24年に第5作「青銅の怪人」から連載されています。ただしこれを読んだかどうかはっきりしません。昭和27年(小学校2年生)の時に連載された「怪奇四十面相」とその次の年に連載された「宇宙怪人」はよく覚えています。

「怪奇四十面相」は、暗号文の謎を解く話です。3つの黄金のどくろに小さく彫られたバラバラの文字列を集めて再構成し、その意味から黄金のありかを探し出すのです。最初は、こう読んでいましたが、
これだと全く意味が不明なので、読む方向を反時計回りに90度回転して並べ替えると次のようになりました。
下の2つの文字列は少しつながるようになりました。「どくろじま」、「さぐれよ」、「おくへ」とか「すすむべし」です。1番目と2番目の間は何か欠けているような感じです。この欠けた部分は、もう一つのどくろに書かれていて、それを怪奇四十面相が持っていたのです。それを補うと、
となり、意味が取れるようになります。もっとも「なんだ」とか「ゆんで」とか昔の言葉が出てきますが、なんだは「涙」のことです。よく覚えているのは、「ゆんでゆんでとすすむべし」という部分で、「ゆんで」とは「弓手」のことで左手を指します。つまり左手の方へどんどん進みなさい、という意味です。ここで馬手(めて、右手)と弓手(ゆんで、左手)という言葉を覚えました。この作品は青空文庫で読めます。

江戸川乱歩は、その筆名をエドガー・アラン・ポーから取っているように、ポーを敬愛していました。このお話の謎ときは、後で読んだポーの「黄金虫」の暗号解読と通じるものがある気がします。

次の「宇宙怪人」は挿絵と共によく覚えています。確か東京銀座の夕方の空に、5機の空飛ぶ円盤が現れるというところから始まります。その後、宇宙からやってきたという怪人が犯罪を犯すのですが、すべて怪人二十面相の仕業です。最後は小林少年と明智小五郎の活躍で解決するのですが、空飛ぶ円盤の謎ときが面白かったと記憶しています。竹ひごと薄い白い紙で作ったフリスビーのような形のものを、絹糸で伝書鳩の足に付けて、訓練した決まったコースを、見間違いやすい夕方の無風の日を狙って、飛ばしたというのです。下から見上げると、白っぽい円盤が飛んでいくように見える気がします。これもよく考えてあると思いました。

この原作も青空文庫で読むことができます。「少年探偵団」はラジオドラマとしても放送され、「♪ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団、勇気りんりん瑠璃の色、望みに燃える呼び声は、朝焼け空にこだまする、」は流行りました。放送は養命酒提供だったと思うのですが、そこへ応募して楽譜を送ってもらいました。

本の話から少し離れてしまいますが、当時の「少年」の付録は別冊の漫画本だけでなく、組立付録があり、これがとても興味深いものでした。思い出すだけで、映写機、蓄音機、日光焼き、などなどがあしました。気になって調べたら、「「少年」の付録」 串間努 光文社 2000年という本があることがわかりました。古本を手に入れて読んでみると、昭和27年4月号の組立付録が「少年蓄音機(レコード・針付き)」、同じく29年4月号にも「少年蓄音機(レコード・針付き)」がついていたと書かれていました。昭和27年3月号に掲載された蓄音機の宣伝です(上記の本よりスキャンしました)。

実際はこんなに立派なものではなく、紙製の本体を糊付けして組み立て、針を本体の音が出る部分に固定し、ハンドルをつけてレコードを装着して回すようにするのです。29年4月号のレコードはカラーで印刷された厚紙の円盤に樹脂が薄くコートされていて、そこに溝が刻印されていました。片面には「♪今日の五条の橋の上、、」で始まる「牛若丸」が、もう一方の面には「むらの鍛冶屋」が入っていました。レコードをセットして針を落とし、回転させると本体のホーンの部分から音が出るのです、すごく感激したことを憶えています。回転を一定にするのが難しいので、歌は早くなってキーが上がったり、遅くなってキーが下がったりするのですが、それも面白いと思いました。何の増幅装置もない簡単な仕掛けで音楽が再生できる、レコードの原理が少しわかった気がしたものです。

映写機も何度か付録についてました。次の図も上の本からスキャンしたものですが、昭和28年11月号の予告です。
納戸の暗い中で、映写機に電球を引き込み、ついてきたフィルムを壁に映写したことを憶えています。

日光写真もありました。これは種紙(印画紙に当たるもの)を自分で作るのです。ついてきた薬剤を調合して暗い中で紙に塗り、乾かして黒い袋中に保存します。薄いハトロン紙に白黒が逆転して印刷してあるネガに種紙を重ねて、太陽光に露光します。光が当たったところが濃い青色になるのです。次の写真は昭和28年9月号のもので上記本よりスキャン。

最後にもう一つ、「少年とうしゃ版」というのがありました。似たようなものが複数回、付録にあった気がします。上記の本によると、昭和26年7月号の付録では、ロウを引いた原紙があり、そこに鉄筆とやすり版で謄写版の原稿を作るのですが、鉄筆は釘をコンクリで尖らせて作り、インクはお釜の底に付いた煤、なければ蝋燭を灯してガラス板に当てて煤を取り、それを食用油に溶かしてインクにすると書かれていました。そんなことをしたのかもしれません。昭和28年3月の「少年木製とうしゃ版」では、原紙や鉄筆にローラー、それにインクの粉がついていました(下の写真は上記本よりスキャン)。

ともかく原紙を切って謄写版で印刷するというのは、新鮮な経験でした。本を作ることに興味を持つようになったのは、こんな経験があったからかもしれません。

学研の「学習」と「科学」も一時期、購入して、現在の環八沿いにあった取次店に、毎月、受け取りに行った記憶があります。だいぶ長くなったので、この項はここでやめておきます。また機会を改めて。ここまで読んだ本のことを書いてきてふと思ったのですが、学校で使った教科書がどんなものだったかについては、ほとんど記憶にありません。そんなものなのかもしれませんが、なぜでしょうね。


科学と生物学について考える一生物学者のあれこれ