生い立ちの記(5)この頃に観た映画

今のようにテレビが家庭になかった昭和30年前後は、映画が最大の娯楽でした。映画を観る機会は2つありました。一つは自由が丘などの映画館に行って、もう一つは夏の夜に、尾山台小学校の校庭で開かれる校庭映画会で、でした。

一番最初に観た映画は、デズニー映画の「バンビ」だったと思います。これは自由が丘武蔵野館で、母に連れて行ってもらって観た記憶があります。日本封切が昭和26年ですから、小学校1年生のときでしょうか、あるいはもう少し後かもしれません。

今でもいくつかの場面をはっきりと覚えています。生まれてすぐのバンビがなかなかうまく立ち上がれない場面、狂言回しのうさぎのトン助が後ろ脚を踏み鳴らしてはやし立てる場面、最後の方で、雪の中、父鹿がりりしく前を向いているのを遠くから見つめ、僕もああなるんだと決意する(ような)場面、などです。

https://natalie.mu/eiga/news/263672より

ディズニー映画が立て続けに公開され(製作されたのはいずれも戦前です)、翌年は「ピノキオ」、その次の年は「ダンボ」を観ています。「ピノキオ」と「ダンボ」は八幡小学校から行った気もします。

それ以外に、タイトルを記憶していて観たと思われるものに、「すべての旗に背いて」、「ゼンダ城の虜」、「超音ジェット機」、「バクダッドの盗賊」などがあります。「すべての旗に背いて」は、エロール・フリンが主演でした。母がエロール・フリンを好きだったといっていた気がします。それとゲーリー・クーパーを。「超音ジェット機」は、音速の壁を破る飛行機の開発話で、破った瞬間の場面を覚えています。これらの映画も武蔵野館で観たのではないかと思います。

当時、自由が丘には映画館がそろっていました。松竹映画封切館の自由が丘松竹❶、東映(とたしか大映)映画封切館のロマンス座❷、東宝映画封切館の南風座❸があり、これら3館は東横線自由が丘駅をロータリーの方に出て西へ行ったすぐのところに固まってありました。駅の東側には自由が丘劇場❹があり、ここは少し古い洋画3本立てでした。さらに駅から北へ行った熊野神社の前に自由が丘武蔵野館❺があり、東横線の線路沿いにあったひかり街商店街の2階には日活映画(と洋画も?)を上映するひかり座❻がありました。この頃、自由が丘はこのあたりで有数の一大映画街だったんですね。

学校からこれらの映画館に映画鑑賞に行くことも結構ありました。記憶によれば、こうしてみた映画は、

「二十四の瞳」、「砂漠は生きている」、「緑の魔鏡」、「ノンちゃん雲に乗る」、「しいのみ学園」、「赤い風船」、「沈黙の世界」が多分、尾山台小学校から、「喜びも悲しみも幾年月」、「佐久間ダム」が尾山台中学校から、

だったように思います。

「緑の魔境」を観た後、映画の中にあった現地人が石器を作る場面に触発されて、たぶん平たい黒い鉄平石を手に入れて、校庭の西端にあった水飲み場の縁のコンクリ部分を使って、皆一生懸命に研いで石器を作ったのを鮮明に覚えています。

「ノンちゃん雲に乗る」と「しいのみ学園」はロマンス座で二本立てだったと思います。学校から行った後、「ノンちゃん雲に乗る」をもう一度見たくて、ロマンス座に行ったように思います。
ここから借用しました。

映画の中ではノンちゃん(田代信子)役を、天才少女バイオリニストと騒がれた鰐淵晴子が演じています。そのため、土手の上で出会った大泉滉が演じる青空詩人がバイオリンを弾くのを見る場面があり、たしか雲から下界に戻る前に、谷桃子バレー団のバレリーナの踊りをバックに、ノンちゃんがバイオリンを弾く場面があります。

バイオリンは物語とは関係なく、東京から少し離れた郊外で暮らすノンちゃんとお兄さん、両親、それと犬のエスが中心の話です(詳しいストーリーはここに書かれています)。よく覚えている場面は、お父さん役の藤田進と兄妹二人が朝の通勤通学時に麦畑の中を歩きながら若い芽の話をする場面、ノンちゃんがいつもお兄ちゃんとけんかをするの場面、例えばエスの尻尾をノンちゃんが台所の戸を閉めたために挟んでしまったあとの言い合い、バナナを二人がもらった後、お兄ちゃんがノンちゃんの半分をくれといい、「食うとこ取ったらいいとこない、いいとこ取ったら食うとこない」という場面など、たくさんあります。下の写真は、雲から帰ったノンちゃんが、原節子が演じたお母さんに雲の上の話をしようとして「怖いからやめて」止められる場面です。
ここより借用。

この映画、もちろん石井桃子の原作です。後で原作を読んだら、バイオリンなんか全然出てきません。でもって、最後の部分が一番よかった。映画の舞台の時(つまりノンちゃんが8歳)から14,5年後に戦争が終わり、戦争を体験した兄さんと医学生を目指す信子が、将来について話し合うところです。この本が戦争中に書き始められ戦後に出版されたことに驚きます。映画ではバレーとかバイオリンとか余計な場面が多すぎるので、原作の方がずっといい、読むべき本だと思います。光文社のこの本で読んだ記憶があります。

「しいのみ学園」の方は、悲しい映画です。YouTuveで観ることができ、これを書いている時点で観て、思わず泣いてしまいました。ポリオ(小児まひ)に罹って肢体に不自由が残ってしまった子供二人を持つ大学教授が、私財をなげうって子供たちのための学園を建設し、運営する話です。ちなみにしいのみ学園は現在も福岡市にあります。

映画の中で歌われた、しいのみ学園の園歌をみんなが口ずさみました(作詞:西葉子、作曲:斎藤一郎)。

僕らはしいのみ、まあるいしいのみ、
お池に落ちて泳ごうよ、お手手に落ちて逃げようよ、
お窓に落ちてたたこうよ、たたこうよ。(2,3番略)

「赤い風船」と「沈黙の世界」など、上に上げた映画は、いずれもいくつかの場面をよく覚えています。

「ゴジラ」は小学校4年の時に南風座で弟と、翌年には「ゴジラの逆襲」も見て、さらにその翌年に「空の大怪獣ラドン」を南風座で米倉恍平君と観に行ったと思います。

「ゴジラ」は印象的な映画でした。ポスターに水爆大怪獣映画とあるように、明らかに水爆実験に対する警告の意味を込めた映画です。途中で多数のケガ人が運び込まれる場面に流れる女性コーラスも、戦争に対する抵抗の意味が込められています。

ただ、当時観たときは、お腹の底を揺るがすような、伊福部昭作曲のゴジラのテーマ音楽に圧倒され、またオキシジェンデストロイヤーでゴジラが骨になり、消滅していく最後の場面に何だか悲しくなったような記憶があります。

次作の「ゴジラの逆襲」は、大阪に舞台を移し、アンギラスと大阪城敷地内で対決します。その後、ゴジラは千秋実演じるパイロットの捨て身の攻撃で、北の島で氷に埋まっていくのですが、物語として、ちょっと物足りない感じでした。

これ以降のゴジラ映画は、手を変え品を変えて作られますが、2016年の「シンゴジラ」まで、観るべきものはないような気がします。最近、「ゴジラ」のDVDを購入して見直しましたが、やはりよくできています。

「空の大怪獣ラドン」は、今度は舞台を九州に変えて物語が展開します。話の筋がよくできていたとおもいます。

最初は炭坑内で、鋭利な刃物で炭鉱夫が切られる殺人事件から始まります。調べていくうちに、犯人は人ではなく巨大トンボの幼虫(ヤゴ)であることが明らかになります(ポスターの右下にいる)。このヤゴが金属音を立てながら炭坑住宅に出没して、人々を恐怖に陥れます。このあたりが、かなりリアルで恐怖感があり、米倉君は丁寧な漫画を描きました。

調査のために構内に入ってみると、確かに巨大ヤゴが発生していますが、そのヤゴを卵から孵ったラドンの幼鳥がひょいとつまんで食べるのを調査に入った主人公の炭鉱技師が目撃し、やがてヤゴを駆除するために発砲した機関銃によって落盤が起こって炭鉱技師は行方不明になってしまいます。その後、阿蘇山の噴火と火口の出現により行方不明となっていた炭鉱技師が記憶喪失となって戻ってきます。そして九州地方に正体不明の飛行物体が出現するのです。ラドンです。
本物がなかなか出てこないで、気を持たせるというこの筋立ては、後の「ジョーズ」とよく似ているような気がします。

ラドンは雄と雌が出現し、最後は誘発された阿蘇山の噴火に巻き込まれて死んでゆくのですが、片方が先に火口に落ちて燃え始めるのを、もう一匹が助けようとすようなしぐさで鳴き声を上げるという、怪獣ながら胸を打つシーンで終わります。

たぶん5年生の時に観た「暁の出撃」という映画も断片的によく覚えています。イギリスの戦争物映画で、ドイツの巨大なダムを破壊する、実際にあった作戦を映画化したものです。覚えている場面というのは、ダムを破壊するために爆弾をダムに投下するのではなく、ちょうど子供のころ平たい石を水面に平行に投げて、何度もバウンドさせて遊んだように、水平に打ち出して湖面をバウンドさせてダムにぶつけるという作戦を成功させるために、科学者が実験を繰り返す場面です。ちなみにこの映画の原題は「The Dam Busters」と言います。
ネット上で探してみると、この作戦はイギリス人にとってはよく知られたものでああることがわかります。

上に述べた自由が丘の映画館は、現在ではすべてなくなっていて、時代の流れを感じます。

校庭映画会で見た映画は封切直後のものではないでしょうから、いつ見たのかは判然としないのですが、タイトルを覚えているものがいくつかあります。

「右門捕物帖」、「台風騒動記」、たぶん「青い山脈」

右門捕物帖は、鞍馬天狗と共に嵐寛寿郎の当たり役で、何本も映画になっています。どれを観たのか定かではありませんが、床下の落とし穴に落ちた右門と穴の壁に般若だったかのお面(実はのぞき穴)があるという場面をいやに鮮明に覚えています。

夏の夜、真っ暗になった校庭で、映写機がカタカタ音を立てて回り、映画が始まる、独特の雰囲気でした。映画会では本編の前に、「寄生虫を駆除しよう」や、「狂犬病に罹った犬には気を付けよう」、という短編映画も見た気がします。当時、小学校では海人草の煮出し汁を飲まされました。ひどい味でした。後の方になると、海人草をチョコレートと混ぜたものを食べた記憶があります。それで白い回虫が、一匹だけでしたが出ましたよ、肛門から。また肝油ドロップを学校経由で買いました。こんな平べったい缶に入った白い糖衣錠でした。

映画について書いているときりがないので、ここまでで一区切りします。中学生になってから観た映画についてはまた別項で書くことにします。


科学と生物学について考える一生物学者のあれこれ

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